定年退職を迎えて
定年退職を迎えて
菅沼岳史
1985年(昭和60年)に昭和大学を卒業し,気がつけば65歳を迎えました.卒業後3年ぐらい大学に残って田舎に帰ろうと思っていましたが,クラウンブリッジに始まり,歯科補綴学講座に約33年(川和先生(現名誉教授)の下で約22年,馬場先生(現歯学部長の下で約10年),顎関節症治療学部門に移って7年と結果的に39年を過ごし,現在40年目を迎えています.人生のおよそ2/3を過ごした大学生活を臨床,研究,教育に分けて振り返りたいと思います.
1. 臨床
私が卒業した頃は,現在のような臨床研修制度はなく入局した医局で上の先生(新谷先生)の治療を見学しながら時々診療に参加しての研修の毎日でした.ただし,我々の頃の臨床実習は,学生が多くの保存,補綴治療を経験できたこともあり,1年目から種々の臨床を実践することができました.特に3年目の前半までは,毎日遅くまで技工室に残って新谷先生の全ての症例の技工を自分で行ったことは,私の歯科医師人生の基盤となっています. 一方,顎機能の研究グループに所属していたこともあり,若い頃から補綴臨床だけでなく,少しずつ顎関節症の治療も行うようになりました.当時の顎関節症に対する考え方は,現在とは異なり咬合因子が顎関節症発症における最も重要なリスク因子であると考えられていたことから,口腔外科のみならず補綴医が治療を行っていました.そのような経緯もあり,2017年に前任の船登先生が退職されたあとに現在の部署に移りましたが,多くは発症に関与する行動要因を取り除く病因治療とセルフケアを中心とした病態治療など保存的な基本治療へと変化してきています.
2. 研究
冒頭で述べたとおり,臨床のスキルアップを目指して入局しましたが,2年目の2月に助手(現在の助教)になることができたことから,古屋先生(現名誉教授)を中心とした顎機能グループに所属し,研究に携わるようになりました.学位論文は「咬頭嵌合位における咬みしめ時の顆頭変位」で,エックス線写真(側斜位経頭蓋撮影法)で咬みしめ前後の2枚の写真から顆頭変位を計測した研究です.当時は手書きの発表原稿とトレーシングペーパーにインスタントレタリングとロットリングで製作した図表を写真撮影し,ブルーバックでスライドを作成するなど現在では考えられないような超アナログな時代でしたが, 大変懐かしく思います.その後,咬合接触や顎運動に関する研究,パラファンクション(睡眠時ブラキシズム,覚醒時ブラキシズム)に関する研究で10名の大学院生の指導を行ってきました.特に馬場先生が教授に就任されてからは,ブラキシズム研究の第一人者と研究をともにすることで多くのことを学ばせていただきました.
3. 教育
学生教育では,クラウンブリッジの講義,基礎実習,臨床実習および顎関節症治療学の講義を担当していますが,多くの同窓生とどこかで関わっており,特に臨床実習で夜遅くまで学生の技工に付き合ったことなど当時のことが懐かしく思い出されます.クラウンブリッジの講義で黒板に書いていた絵は,執筆したクラウンブリッジサイドリーダーのイラストそのものであり,記憶に残っている同窓生も多いと思います. 学生教育はこの40年で大きく変わっており,来年度からOSCE(客観的臨床能力試験)が公的化されます.私は発足した2000年からOSCE委員会に所属し, 2009年から現在まで委員長を務めています.最初は今までに経験したことのない試験形態に戸惑いましたが,現在では,臨床実習に出るために通過しなければならない関門のひとつとなっています.国家試験も難しくなり,学生にとって歯科医になるためのハードルは高くなる一方ですが,本学が常に上位をキープし,卒業生が良質な歯科医師となって活躍してくれることを祈っております.
以上,臨床,研究,教育について振り返ってみましたが,40年という長きにわたって仕事ができたのは,ご指導いただきました諸先生方とご支援いただきました皆様によるものであり,心より感謝を申し上げます.最後に来年度から昭和医科大学に校名が変わりますが,100周年に向けて大学のますますの発展を心より願っております.